雨の日は友達作りの日旅で出逢う人は、運命の人、
全ての出逢いは、懐かしい再会。 …… 僕のマレー語は大丈夫! 機突然、灰色の雲が立ち込め、間もなく土砂降りに なりました。僕は小さな小屋に走って行くと、そこ には2人のおばさんと1人のおじさんがいました。 僕たちは雨が降っている間、小屋で一緒に雨宿りしました。彼らはとてもフレンドリーで、僕に食べ物 をお裾分けしてくれました。突然の土砂降りのこと など忘れて、僕たちは一緒に楽しく食べたり、おし ゃべりしたりしました。彼らは僕のマレー語がうま いとほめてくれました。そう、マレー語はマレーシ アの公用語で、僕は幼い頃から話しています。僕は 10年間マレーシアにおらず、それほど話していま せんでしたが、まだ忘れていませんでした。 ディン「私たちは2人ともaKotaaTinggi(a コタ・ティ ンギ)出身で、姉に会いにaTaiping(a タイピン)に 来たんだ。今日は姉がここに連れて来てくれたん だよ」 ノナ「ここで1人で何してるの?」 FuFu「a 僕は今バスでマレーシア北部を旅行して いるんです。車を持っていないので、クアラルンプ ールからバスに乗って、タンジュン・マリム、ビドー、 タパー......、そして今日はここ、タセッ・ラバンに 来 ま し た 。 こ の 後 、 P u l a u a P i n a n g (a ペ ナ ン ) 州 、 Perlis(a ペルリス)州、Kedah(a ケダ)州に向かいま す。今日は会えて、嬉しかったです」 ノナ「今どきバスで旅行する人なんているの? マレーシアで? 面白いし、魅力的ね!」 僕の日本語も悪くない 機雨が小降りになると、2隻のボートがゆっくりと 桟 橋 に 近 づ い て 来 ま し た 。僕 た ち は 2 つ の グ ル ー プの人々がこちらに歩いて来るのを見ていました。 ガイドの付いた日本人のカップルが、言葉が通じ なくて困っているようでした。日本に留学していた 僕は、すぐに彼らを助けに行きました。 機 僕が大阪と広島に留学していたと知って、夫の 宗大さんはどちらの街にもよく行くので、日本に来 たらいつで遊びに来るように言いました。彼はまた、タセッ・ラバンで釣りをした写真と、この日の 釣果、そして日本から持って来た釣り道具を見せ てくれました。雨が止み、僕たちはaFacebookaの連 絡先を交換した後、宗大さんと奥さんは別れを告 げて、去って行きました。 KokaHeng(a コッヘーン)さんの送迎 機 車 が バ ス 停 ま で 来 て い ま し た 。運 転 手 は 桟 橋 に来た他のグループのツアーガイドでした。彼の 名前はコッヘーンでした。彼は僕がカンポン・バ ル ・ サ ウ ッ に 戻 る こ と を 知 る と 、イ ポ ー に 行 く 途 中、その村を通るので、車に乗せてくれると言い ました。 車の中から、彼は僕が宗大さんとおしゃべりし ているのを見ていたそうで、僕がマレー語と日本 語の両方を使いこなしていることに驚いていまし た。コッヘーンさんは日本人観光客向けのレクリ エーション・フィッシング市場を開拓しようとして いて、通訳を探していました。確かに人里離れた 場所に行って釣りができたら、どんなにいいでしょ う。僕はコッヘーンさんに会えてラッキーでした。 僕の夢が叶いますように。 …… タセッ・ラバンへの半日旅行は実に実りあるも のでした。僕は息を呑むような景色を楽しんだだけでなく、予期せぬ大雨のおかげで、生い立ちも 関心も異なる3組の人々と親交を交わすことがで きました。 機 雨の日もそんなに悪くないことを知りました。中 国の諺に「下雨天留客天(雨の日は友を留めよ)」 というのがあります。僕はそれに別の一節を付け 加えます。「雨の日は友を留めよ。さればさらに友 来たる」。もしかすると、この雨は「計画的」だった のでしょうか? 機 さよならはありません。僕たちは再び会う機会 があると確信しています。そして、それが人生を面 白くします。 ……
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AuthorLam Ching Fu Archives
January 2024
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